6世紀〜
9世紀〜

竹田城(兵庫県)
古墳、石舞台・・・ここに穴太衆積の原点が見出せます。比叡山延暦寺の石垣にも穴太衆の石工衆が動員されました。 門前町の坂本には、今も当時の仕事ぶりをみることができます。

福知山城(福知山)
16世紀〜
江戸時代中期
戦国時代以降、石垣を持った城が次々と作られました。穴太衆は全国の大名から石垣づくりの要請を受け、織田信長、 豊臣秀吉、徳川家康と時代を代表する大名達の間でも穴太衆の起用が活発に行われました。
19世紀〜
昭和へ

西教寺(大津)
築城が減り、穴太衆石工は激減しました。20世紀に入ると史蹟や文化財修復工事で穴太衆積の技術が 再認識されるようになり、古くからの技術の高さに注目が集まるようになりました。

坂本石積の郷公園(大津)
平成〜
現在
文化財保護により再認識された技術は、自然に優しく美しいことが再評価され、現代の建築に取り入れるものが出てきました。 現代建築との融合で、新しい穴太衆積の歴史が始まっています。

今の大津市坂本穴太の里に住みついた石積職人「穴太衆」の仕事っぷりは、延暦寺やその里坊の石垣づくりに今も名残を 留めているように、戦国時代以前から広く知れ渡っていたようです。 それが、さらに高い評価を勝ち得たのは織田信長公の命により携わった「安土城築城」以降です。 安土城は、日本の城郭づくりに一大転機を為したと伝えられていますが、その築城時に見せた穴太衆の技は高く評価され、 その後の城づくりに欠かせぬ存在となり、今も残る名城・大城の大半が、直接・間接を問わず穴太衆の手に依るといわれている程です。
石積みの里 坂本